変わりたい「この私」はどこにいるのかという問題

柄谷行人は、探求2で、レヴィナスとハイデッガーを引いて、次のような考察をしている。 「レヴィナスが批判しているのがハイデッガーであることは明らかである。 ハイデッガーは、主体(主観)というような実体を否定して、無名の、かつ共同体存在としての…

最近、文章力も思考力も、鈍ってきたような気がするので、文章を書くこと、頭の体操を兼ねて、自己満足で書いてみたいと思う。テーマは中上健次。 中上健次ほど、肉体的かつ知的な作家もいないが、そこには、ある種の欺瞞も潜んでいないのか? と思っている…